ご縁の大切さを「袖振り合うも多生(他生)の縁」その本質の意味から理解する

兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&ヨガ・やさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~

転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。

「袖振り合うも多生(他生)の縁」という

仏教の教えに基づいた、ことわざがあります。


恥ずかしながら、
私は長年、多生(他生)→多少という

間違った文字で理解していました。


これは、全く違う意味なり、

この際しっかり理解した方がいいと思い、

改めて学び直しました。


多生(他生)とは、"人間の輪廻転生"

表現していたのです。


つまり、見知らぬ初対面と思われる人

との出会いも、けっして偶然ではなく、

いずれかの前世において、必ず何らかのご縁で

結ばれている、という事なのです。


気の遠くなるような、人によって何万、

何十万回数の転生のどこかでつながりが

あったから、また再会する、

という意味なのです。

同じような意味では、

"一期一会"がそれに該当します。


そしてご縁があるという事は、その当事者同士が、

その時その場所で必要があって

出会うべくして出会ったという事なのです。


私達は、ついそのような奇跡とも言える、

稀有な人間関係をあまり深く考えず、
つい簡単に軽く考えてしまいがちです。

しかし、そんな人との出会いも、
丁寧に注意深く観ていくと

結構興味深いものがある、

と感じる事が最近多くなりました。

偶然の出会いと思えない程、

出会っている時間の長短という尺度ではなく、

お互いに濃厚と思えるような、

共有できる時間を過ごしたからだ、

と思えるからです。


別れたとしても、

「いつかどこかでまた出会える」、

と想える不思議な余韻が残る事も

ご縁の深さを示しているように感じます。


私には現在、自分の心を打ち明けられるような
親友や友人と呼べるような存在の人は、

ほとんどいません。


また、両親は既に他界し、兄弟間の連絡も、
必要な用件がない限り、ほとんどありません。

それも私が選択してきた人生です。

どなたかわかりませんが、何か見えない存在に、
見守られ支えられている、サポートを受けている、
そんな感覚を素直に受け容れたら、
孤独感や疎外感からも開放されました。

何かお役目があっての今の状況として、
考えられるようになりました。

しかし一方では、

"人とのご縁は常々大事にしていきたい"、

と思い、出会いは心から望んでいる事でもあります。


先日、久しぶりにお会いした方から、
こんな話を聴きました。

「この世で後悔したくないのは、
 あの世に行ってからも後悔したくないから」

私は"まったく、その通りだ"
と心の中で相づちを打っていました。

だからこそ、このようなブログを通して、
自分自身の事を本音で発信する事により、
少しでも、どなたかの役に立ち、
その方の心に光を灯す、そんな役割があるように
今なら、はっきりと言えます。


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