「魂」について真剣にその意味を探求する

兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&ヨガ・やさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~

転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。

先日、ロシアで開催されている、

サッカーワールドカップで、

日本は1次リーグ初戦のコロンビアに勝ちました。

その時の新聞の見出しに、

現地サポーターの喜びのコメントが

掲載されていました。

その中に「魂震えた」との言葉が目につきました。

確かに新聞やメディアでね喜びや感動の
記事やコメントが出た時、スポーツ、格言
また音楽の歌詞など、さまざな分野では他に、

「魂に響く」「魂に届く」
「魂が泣いている」「魂が喜んでいる」
「魂に刻み込む」「魂の叫び」「魂が乗り移る」
「一球入魂」「魂が宿る」「一寸の虫にも五分の魂」
「仏像に魂を入れる」「魂を込める」「魂が抜ける」

思いついただけでも、こんなにも表現があります。

つまり「魂」は私達人間だけではなく、
動植物、鉱物など地球上のあらゆる物質にも関連し、
存在している、という見方もできます。

この事は、私のブログで以前取り上げた、
『神は細部に宿る』の概念とも

合致するように思います。


よりインパクトの強い情報を発信したい時に
「魂」を含む語句が使われているケースが
多いように感じます。

必要性に応じて、目にする機会があり、
一般的にそれが理解、認識されているようにも

解釈できます。

ただ、いつも個人的に思うのですが、
限定された範囲での使用というのが感じられ、
扱いが制約されている印象を受けます。

「魂」という存在の本質的な意味まで

掘り下げるのは、現実(社会的価値観)から

乖離したと思われがちな

スピリチュアル分野(霊的価値観)だから、

論理的な説明や根拠がなく、

タブー視されているからか、

よくわかりませんが、この手の情報は

先へ進まないのが現状のように思います。


しかし視点を変えてみたら、

「魂」という言葉自体が表面に出てくる

という事は、先程の理解や認識のもそうですが、

私達がそれ以上の何かを求めたり、

期待しているという事の裏返しとも

言えるのではないでしょうか。


これから先の時代も、自然災害を初め、
世界中で続いている紛争、

政治家や有名企業の不祥事など

不透明で、不幸なネガティブ、

最悪と思われる事象は留まる事は

ないように思われます。


これら要因の多くは、

私達が社会的価値観に偏重してきた、

と言っても過言ではないように思います。


仮にそうだとしたら、

有史以前に確立していた「魂」などを扱う

霊的価値観とのバランスを取っていくのが

私達人類、さらに地球全体にとって

賢明な選択のように思います。

さらに、私の別の視点からは、

人間が死ぬ時には、

お金や宝石など物理的なモノ、

社会的地位や名声といった形のないモノ、
それらのモノは、あの世までもっていけなし、
もっと言えば、全く価値のないモノに

過ぎないわけです。


それでも、あの世へこの世で生きた、
あるいは成長の証のような、
「何かを持っていきたい」と、
衝動的に思う事が私の場合、時々あります。

ある日、頭の中に電灯が点いたように

浮かんだのは、「魂」という、

より深く広いレベルだったら、

この世で体験、経験した事が、

そこにキチンと記憶されていて、

もしかしたら、

あの世へ持ってけるのではないか?


そんな仮説を立ててみるのも、

面白いかなと思ったのも、

心の学び、もっと突き詰めたら、

"真理(しんり)の探求"を初めた

キッカケだったような気がします。


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