「この程度」と「こんな」の別の視点、更に見出せました!

兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&ヨガ・やさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~

転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。

前回の記事に取り上げた「

この程度」と「こんな」について、

その後、私なりに再度検証を深めていくと、
別の視点が更に見出せましたので、シェアします。

繰り返しになりますが、2つの事例は、
私が個人的に思いつきと判断で書いた、
以下のようなものでした。

例外もあるかと思いますが、
大ざっぱな目安として捉えて下さい。

「この程度」の事例、
この程度での怪我、病気で良かった。
この程度まで怪我、病気が回復したから大丈夫。
この程度の被害で済んだ。
この程度の遅れなら、まだ間に合う。
この程度の事なら、私にもできそう。
この程度の事なら、乗り越えられそう。
この程度の事なら、安心できる、

だから心配しなくていい。


「こんな」の事例、
こんなひどい目にあってしまった。
こんな出来事はありえない。
こんなはずではなかった。
こんな事になって後悔している。
こんなつもりではなかった。
※こんな程度の事しか、私にはできない。

※は、今回追加しました。

ここからも、あくまでも個人的な見解として書きます。


前者の「この程度」の事例を再度読み込んでみたら、
「お陰様」の意味合いを含んでいるのでは、
と頭に浮かんだのです。

私の感覚的な捉え方なのですが、
「お陰様」とは、私達は何か見えない存在に、

見守られている、支えられている、

サポートを受けている、という事も

言えるのではないか、と感じるのです。

そういった存在について、

肯定しようが、否定しようが、

個人の自由意志があるので構わないのですが、
どうも、その存在を漠然とでも、

何となくでも構わないので

認めた方が楽ですし、表現はおかしいですが、
「お得(徳)」なように思えるのです。

というのも、意識的、無意識的に限らず、
「この程度」という語句をご本人が口にした時点で、
その方は、見えない存在を認め、受け容れたからこそ、
知らず知らずのうちに支えられ、サポートを受けて、
ポジティブ思考をベースに、望む方向へ舵取りできた、
とも言えるのではないでしょうか。

一方、後者の「こんな」の事例の場合は、
こちらも私の感覚的な捉え方なのですが、
自分の狭く限られた世界、
つまり自我意識またはエゴとも言いますが、
"自分で創り出した小さな世界に囚われている"
とも言えるのではないでしょうか。

自分で創り出した小さな世界なのに、
自分でどうにもならないジレンマに陥っている、
自分で自分の罠にハマっているようなもの、
とも言えます。

そして、そんな小さな世界には、

どういうわけか「お陰様」という見えない存在は、

どこにも見当たらないように感じます。

仮に、どこかに居たとしても、
存在を認めてもらえない人に、
どう手を差し伸べたらいいのか、
わからないように思うのです。
(これは私の勝手な解釈ですが、

「お陰様」の気持ちを汲んだら、

そうとしか思えないのです。)

それでは、前回と同様に再度お尋ねします。

あなたなら、「この程度」と「こんな」、
どちらの視点を選択しますか?


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