『断・捨・離』は執着を手放すための道具なり
兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&ヨガ・やさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~
転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。
「断・捨・離」とは、ヨガの行法である断行・捨行・離行の
頭の字を取り、表わした言葉だそうです。
私は、「あるヨギの自叙伝」(パラマンサ ・ヨガナンダ著)を
読んだ時、この言葉を本のどこかの章で見た記憶が
あるのですが、まさかヨガの行法とは知りませんでした。
それぞれの意味は、
頭の字を取り、表わした言葉だそうです。
私は、「あるヨギの自叙伝」(パラマンサ ・ヨガナンダ著)を
読んだ時、この言葉を本のどこかの章で見た記憶が
あるのですが、まさかヨガの行法とは知りませんでした。
それぞれの意味は、
断:不要な物を断つ。
捨:いらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
という事らしいのです。
個人的には、真ん中の"捨"の
「いらない物を捨てる。」は掃除や整理で
実践しやすいのですが、残りの"断"と"離"、
特に"離"が最もハードルが高いように思いました。なぜ、私がこのような事を言うのか、と言いますと
昨年の夏に、この"離"を実感できた経験があったからなのです。
20年近く前、以前に書きました、
ある宗教団体の施設に入会した時、
"お守り"とか"厄払い"の名目で、高額な美術品や仏具を
購入しておりました。
その宗教団体との関係は、はるか昔になくなったのですが、
そのモノたちを持ち続けておりました。
何がキッカケで、そう思ったのか、忘れましたが、
「今、そのモノたち、必要?」
と頭の中に浮かんだ事から始まりました。
決して自慢するつもりはないのですが、
費やしたお金は、新車が1台購入できる程の金額でしたので、
長い間、手放せず、二の足を踏んだ状態でした。
正直なところ、"手放す=お金を捨てる"、そんな感じを
そのモノたちと同じ様に引きずっていたようです。
端的に言うと、執着を手放す事ができなかったという事です。
よく、執着を悪者扱いするような見方をして、
早く手放した方がいいとか、捨てたらいいとか、
言う方がおりますが、それは正しい見方なのでしょうか?
全部、業者に依頼して引き取ってもらい、
手元に換金されたお金が、数十万円でした。
損したとか、虚しいとか言った気持ちはなく、
数十万円頂くだけ、ありがたいという気持ちで、
お金を受け取りました。
そして、ようやく執着を手放すの本当の意味が
わかりました。
執着とは、"自分から手放そうとするのではなく、
心の成長を経て、必要な時期に、自然と手放れていく"
という事なのです。
この出来事を通して、執着について、
見識を深める事ができた事は
とても貴重な経験となりました。
しかし、これで私の執着がなくなったという事では、
決してありません。
まだまだ、たくさん心の中にありますので、
引き続き学んでいきたいと思っています。
そして、ようやく執着を手放すの本当の意味が
わかりました。
執着とは、"自分から手放そうとするのではなく、
心の成長を経て、必要な時期に、自然と手放れていく"
という事なのです。
この出来事を通して、執着について、
見識を深める事ができた事は
とても貴重な経験となりました。
しかし、これで私の執着がなくなったという事では、
決してありません。
まだまだ、たくさん心の中にありますので、
引き続き学んでいきたいと思っています。
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