現象に対する受け留め方が変わると心や感情が反応しない時が来る

兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&ヨガ・やさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~

転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。

先日、近くのコンビニで面白い体験をしました。

面識のない、ご近所に住んでいる、オバちゃんなのですが、
いつもその方の家の前を通りかかる時、家の中に居ても、
声が丸聞こえで、失礼ながら、下品な印象が、
私の頭にしっかりとインプットされていました。

そのオバちゃんが、近くのコンビニで見かけた事がありました。
レジにいた店員に対して、何かを尋ねていました。

その声は、ご自分の家にいる時と同じように、
大きな声で話されていました。

私は、その大きな声を聞いた時、
"相変わらず大きな声だなあ"
としか、受け留めていませんでした。

私が何が言いたいか、おわかりでしょうか?
"大きな声だなあとしか、受け留めていなかった"
いつもの私なら、その大きな声を聞いた時、
条件反射的に下品な印象が伴っていたのに、
それがなかったのです。

しょうもない事、くだらない事と思われるかも知れませんが、
私にとっては、不思議で印象的な出来事でした。
目の前で起きた現象に、心が反応しなかったのですから・・・・・・

これ以降、例えば目の前の人が怒っているのに、
心や感情が一緒に反応しない事が何度かあり、
私は自分の心が相手に合わせていない状態が、
確信できました。

この記事を書きなから、こんなことわざを思い出しました。

"幽霊の正体見たり枯れ尾花"です。


その意味は恐怖心や疑いの気持ちがあると、

何でもないものまで恐ろしいものに見えるというたとえ

 (故事ことわざ辞典より引用)


つまり、ネガティブな見方、考え方は、影という

何でもないという実態のない幻想に囚われて、
枯れ尾花(ススキの穂)という正体、まさに根っ子(本質)を
観ていない事を表現していることになります。

私が体験した事と状況や感情の違いはありますが、
そのベースは同じだと思います。

実は、このような心境にはメリットがあり、
ひとり孤独で、つまらない状況であっても、
落ち込んだり、寂しがったりせず、
むしろ、その状況を楽しんでいる事にも、
気がつきました。

過去の私みたいに、ネガティブなドロ沼に
はまり込まなくなった理由の1つが理解できました。

実は、この体験を実感できたキッカケとなった、
情報源を紹介します。
もしあなたが曇って肌寒いことを否定的に捉えていると、
その日を「憂鬱な日」と決め込んで暗い気分になるでしょう。

こうしたことが起きるのは、あななたが感性をとおして

受けとった中立的な感覚に対し、知らず知らずのうちに

いい悪いの判断で反応してしまうからなのです。


興味深いことに、一方ではどんよりして

肌寒いくらいの天気を好む人もおり、

そういう人はそんな天気を思い描いただけで

気分が高まったりするのです。


感覚そのものの真の姿は肯定的でも否定的でもなく、

あくまで中立的な報告にすぎません。

それはあなたのエネルギー的な反応や適応の世界で

起こっていることの、一種のバロメーターなのです。

(新・ハトホルの書 トム・ケニオン (著),紫上 はとる (翻訳) ナチュラルスピリット
P60.L8~P61.L3より引用)


今でも振り返ってみると、この気づきは貴重な体験でした。

この体験がキッカケとなり、その後の私の"視点"が

明らかに変わっていきました。


それまで、現象(出来事)に対して感情が一緒になって、

無意識に当然のごとく反応していたのが、

"実は自分の心が創り出した、ただの幻想だった"

という事にハッキリと気がついたからです。







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