新たな出発、そして数々の運命の出会いと大いなる流れ 2/3
兵庫県川西市&宝塚市のカウンセリング☆メンタルケア&ヨガ・やさしい光 ~転職、人間関係、パニック障害、うつ病、発達障害の悩み、苦しみを解消し、幸せを見つけ、リラックスできるヒントを全力でサポート!~
転職を10回して、人間関係、ノルマに苦しみ、悩んだ末、発症した、うつ病&パニック障害、 会社や周囲の人のせいにしたり、自分を責めたりしました。 自分に合った企業へ転職したいのに、なぜかさらに厳しいブラック企業に入ってしまうのです。 私と同じように悩んだり、困っている方へ少しでもお役に立ちたいという真剣な想いから、 心機一転し、新たにカウンセリング・サービスを立ちあげました。
1/3からの続き
前回の知人は、占いをされている女性の方で、
ご自身も研究心が旺盛で、自ら他の占い師の所に行かれ、
とても良かっので、私にも行くように勧められた事があります。
私は、当時この方に依存していたと言えば、そうなのですが、
この方の発信する情報は、私のために必要な情報を
適時提示されているという信頼に近いものがありました。
今回の他の占い師ヘ勧めについても、私は抵抗なく
受け入れました。
お二人の占い師の先生方を紹介してもらいました。
確かにお金はかかりましたが、これからの私にとって、
とても有効な学びとなり、新たな一歩を持て踏み出す事が
できました。
当たり前の事ですが、正直言って、
実績のある占い師ほど、鑑定の質が上がり、
比例して鑑定料も高かったです。
しかし、この時の私に関する鑑定内容からは
価格相応と納得しました。
最初に大阪市内の易学のH先生の所へ行きました。
その場所はマンションの一室で、
H先生とはテーブルをはさんで真向かいに座り、
早速鑑定が始まりました。
名前と生年月日を言ってから、目には見えなかったのですが、
得体のわからない、タコかイカみたいな長い足のようなモノが
数本私の身体の両脇に入り込み、
何かを吸い取るような感じがしました。
少し気味が悪かったのですが、"これも経験"と
自分に言い聞かし、黙って座っていました。
H先生は、ペンを用意されていた便箋に字を書き始めました。
黙ってひたすら書き続け、10枚近くなった所で、
ペンが止まりました。
それから、私に書かれた便箋を渡され、その内容について
説明を受けました。
具体的に当たっているという点もあったのですが、
印象に残ったのは、
その場所はマンションの一室で、
H先生とはテーブルをはさんで真向かいに座り、
早速鑑定が始まりました。
名前と生年月日を言ってから、目には見えなかったのですが、
得体のわからない、タコかイカみたいな長い足のようなモノが
数本私の身体の両脇に入り込み、
何かを吸い取るような感じがしました。
少し気味が悪かったのですが、"これも経験"と
自分に言い聞かし、黙って座っていました。
H先生は、ペンを用意されていた便箋に字を書き始めました。
黙ってひたすら書き続け、10枚近くなった所で、
ペンが止まりました。
それから、私に書かれた便箋を渡され、その内容について
説明を受けました。
具体的に当たっているという点もあったのですが、
印象に残ったのは、
「50代が自立できる最後の期間」
と言われた事でした。次に京都で有名な占い師、E先生の所へ行きました。
私ども夫婦で鑑定してもらいましたが、ズバリという部分を
突かれました。
私にとって最も印象に残ったメッセージは、
「世間では、スピリチュアルを糧としてやっている人は
数多くいるが、ほとんどは根をしっかり張っていない、
それは非常に危険な事だとわかっていない。」
「だから、もし、あなた(私)がスピリチュアルを糧とするなら、
しっかりと根を張る必要がある。」
というものでした。
この時は、私は何のことか思い浮かばず、
「野菜とか植物を育てるために、土に触れる事ですか?」
というような事を言ったように思います。(笑)
今から思うと、確かにそれも一側面ではありますが、
これも最近になって
「あの時に言われたあの事とは、こういう意味だったのか!」と、
その真実が実感としてわかり、しっかりと腑に落ちました。
そして、もう1つ気づいた事があります。
それは、私に聴こえる"声"に関する事です。
実はこの時期、私の行動や考えと同調するように、
いろんな"声"が聴こえる事がありました。
それは、幻聴とかではなく、既に亡くなった祖父母、両親、
あるいは会社の元上司のよく口に出していた言葉が、
"声"として聴こえるというものでした。
E先生は、その状況を察知されたようで、
「お静かにしなさい!」というような事を
ひと言、強い口調で言われました。
その時点では、全く気づかなったのですが、
それから何日か経って、"声"が全く聴こえなりました。
一時は、その"声"に振り回されかけ、困惑していたのですが、
安心感が出てきたのを覚えています。
さらに、しばらく置いて気づいたのですが、"声"には少なくとも
2種類あったと言う事です。
あえて大ざっぱな言い方をしますと、E先生が一喝して
聴こえなくなった"声"は、私以外、つまり外の"声"で、
もう1つの"声"すなわち私の内なる"声"があるという事に
気づきました。
これは、あくまでも私の主観として捉えて頂きたいのですが、
前出のブログで書いた、自宅の駐車場で車に私が挟まれた事故後、
病院での治療が終わり、全身の痛みの中で、
私の落ち着いた声で言っていた
「大丈夫だ、必ず治るから、安心して」
と同じ"声"のみ、必要なタイミングで聴くようになったからです。
最後に、私は霊感体質という自覚がほとんどないので、
自分で観たり、聴いたりする事はできないのですが、
このお二人の先生方から、同じ事を言われたのを
鮮明に覚えております。
最後に、私は霊感体質という自覚がほとんどないので、
自分で観たり、聴いたりする事はできないのですが、
このお二人の先生方から、同じ事を言われたのを
鮮明に覚えております。
それは、私の背後にいらっしゃる、
守護霊、指導霊の方々の事でした。
先生方からのお話を聞いた限り、
同じ方々との印象を強く持ちました。
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